都内で働くアラサーOLの憂鬱

とある広告代理店に勤めるOLのブログ。トップ営業マンから休職までいろいろ経験しながらあがいてます。アイドルやアニメが生きがい。

自分の人生生きてますか?広告マンが休職して気づいたこと

私は都内で働く広告マンだ。
新卒から6年、常に営業成績はトップクラス、MVPを最年少で受賞、社内のトップクライアントをメインで受け持つなど自分で言うのはあれなのだが、おそらく側から見ると優秀なバリキャリOLでした。

働いて忙しくしている私、夜22時から酒を飲んで朝までオール、そんな自分かっこいいくらいに思っていたときもありました。
でも事件は突然やってきて、改めて自分の生き方を考え直すことになりました。

ここで書くことが平日週五日朝から夜までバリバリ働く若手~中堅社員が、「自分の人生を生きているか」考えるきっかけになったらと思います。


新卒6年めの終わりかけの今年初めに過換気症候群に襲われ救急車で運ばれました。
過呼吸になり、手足の震えが止まらなくなって、「このまま死ぬのか・・」と思いながら初めての救急車に乗ったのはきっとこの先忘れないでしょう。
その後、自律神経失調のような症状やパニック障害のような「広場恐怖」またパニックになるんじゃないかという「予期不安」が続き、食欲不振で痩せてしまったり、夜は不眠や中途覚醒帯状疱疹がでたり一気に体に異変が生じたんです。
インターネットを見ると色んな情報が散乱していて、何を信じていいかわからないし、もう治らないのかな…と毎日泣きました。
割と今までの人生苦労してこなかった私には本当に辛い日々でした。
(この話は別のnoteで詳しく書きます。)

 

そしてなんとか今月(11月)で復帰。少し落ち着いたのでその時の考えや今思うことを綴ろうと思います。

復帰して今一番驚いていることが、

自分が今の会社で「心からときめくような興味を持てることがないことに気づいた」ということです。
倒れる前まではがむしゃらで、そんなこと考える余裕もなかったのかもしれません。仕事を夢中でしていると、自分のやりたいこと(WANT)って意外と後回しになってしまったりしますよね。

入社当初から、自分の中で「これがやりたい」「これができるようになりたい」はありました。
「自分の考えたもの、作ったもので人の心を動かしたい、感動させたい」
それができるように広告代理店へ新卒入社から6年間がむしゃらに働きました。

元々根は暗いほうでコミュニケーションもそんなに得意ではないので、文系=営業職、まずは社会人としての基礎を、くらいの動機で入社したため営業職は苦手なことの連続でした。その中でも自分の得意なことは「考えること」「企てること」でした。
オタク気質だったのもあり、自分の成長につながっている、とか楽しい!と思える仕事は不思議と徹夜が続いても全然辛いと感じなかったです。(体力的にはへばってたが・・)

ただ、ある程度仕事ができるようになってくると会社からの期待が高まると同時に自分の中で「同期を出し抜きたい」「会社でもトップ営業になりたい」「稼ぎたい」という柄にもない意識高めなことを言うようになっていました。
会社の人たちからは「優秀」と言われ、自分に自信が常にないタイプの自分は他人からの評価、他人との比較で自己肯定感を高めていたなと思う

倒れてからわかることですが、
人からの評価のため、人と差をつけることをモチベーションに仕事をしていたりすると、その思いや頑張りが正当に(自分の思ったとおりに)評価されないとそれが他人に向けた「怒り」になり自分のストレスが大きくなっていく。
「こんなに頑張ったのに○○さん(上司)は評価してくれない」
「こんなに頑張ってるのに○○と同じ職級?」

昇進するために頑張る、と割り切れる人ならばそれをモチベーションに頑張るのも一つだと思うが(仕事はもちろん社内接待、タバコミュニケーションetc…)結局は人の評価なので過度な期待はストレスを生む原因になるので注意です。

自分の場合は自分の欲求(WANT)を抑え込んで、目の前の評価のために役割行動(MUST)をしていたように思います。


主に自分の役割(MUST)は所属チームリーダー、大型案件のPRJリーダー(3案件)、新人教育担当、所属グループの営業戦略遂行でした。
人が辞めたあとというのものあり、ケモナレの特別チーフクリエイター並にやっていたように思います。
ケモナレ:獣になれない私たち

いいのかわるいのか、仕事ちゃんとやる人には仕事がどんどん来るんですよね。

本来仕事は自分のWANTと重なるところでやるべきですが
倒れる直前の自分は完全にMUSTのところになりかけていました。さらに上を目指すにはやりたくないことをやるしかない、と言い聞かせていました。「私はリーダーなのだから我慢しよう。我慢できないのは私のスキル不足」みたいな考えをしてたように思います。

入社して5、6年のようや中堅になると、ある程度基本は身につき会社でも戦力と呼ばれるようになってくると思います。
そうなったときに求められることばかりに軸足を置くと、自分の意思が置いてけぼりになって
「私は○○したい」がいつの間にか
(会社にとって良いことだから)「私は△△するべき」
というふうに主語が「自分」から「会社」に変わっちゃっていないか考えてみてほしいのです。

倒れてからある程度体調が落ち着いてきた頃、自分のことを振り返ってみると、正直「仕事の鬼」「取り憑かれていた」と思うし、家族にも「あの頃のそらちゃんは怖かった」と言われた。休んでからは表情も優しくなったと言われたり、、仕事って人を変えちゃいますね。

当時は「自分がいなかったらこの案件は落ちてしまう」「自分がやらないとクオリティが下がってしまう」「自分がこの責任を背負うんだ」
くらいに思っていました。
でも実際自分が半年以上休職しても案件はおちなかったし、クオリティは確かに下がったかもしれないけれど、その影響は大きくなかったし、何も変わらなかったんです。

仕事復帰してからは朝から晩まで仕事に没頭している同僚を見ると、すごいなあと思う反面、仕事に没頭しすぎると客観的に自分を見られなくなってしまうのかな、と感じることもあります。
冷静になって見てみれば1日でそんなに重要な仕事なんて少なくて、自分がいなくなっても会社は回るしプロジェクトも変わりなく動いている。(経験談

それを「自分なりの美学、責任感、使命感」レッドブルを飲んで体を酷使して仕事しているのを見ると、自分の二の舞にはならないでほしい、もっと仕事って力抜いていいんだよ、といってあげたくなります。

人生では経験しなければわからないことはたくさんあるもので、
ここで自分が倒れなかったら、きっと私はもっと自分を追い詰めていたし
他人にも同じことを求めて白黒つけた人生を送っていたと思うんです。
病を経験したことで、病が「治る(白)」「治らない(黒)」じゃなく「付き合っていく(グレー)」という考えが必要なこともわかったし、
世の中には圧倒的にグレーなことが多いってこと、グレーは悪いことじゃないってこともわかりました。

あと、仕事は常に割と忙しかったのですが、倒れた最後の引き金は妹との喧嘩でした。
2人姉妹の長女の私がおとなしく、真面目で優等生タイプだったのに対し、妹はわんぱくで勉強は苦手で目立ちたがり屋の甘えん坊でした。
妹がよく親に甘えて迷惑をかけたり、不登校になったり、大人になっても働かずにいるのを見て、状況について私なりに理解しつつも、いつの間にか親に迷惑をかけないこと、いい子でいることを意識するようになっていた気がします。(多分妹のことをずるい、羨ましいとも思っていました)

ある日、些細な妹との喧嘩に腹が立ち「なんで私はこんなに我慢しているのに責められるんだろう」「なんで私はちゃんと働いているのにそんなこと言われないといけないの?」と頭の中がぐちゃぐちゃになって全てが嫌になりました。

その翌日に、朝からメンタルがおかしく仕事中に号泣、夜にも号泣し救急車に乗りました。

仕事での評価の話、家族の話から共通することは
今までの私は、知らぬうちに「他人のために生きていた」んです。

自分の人生を生きている人は自分に責任を持っているので、何が起きてもそれを人のせいにしません。
他人のために生きている=自分のための人生を生きていない人は、成功すれば見返りを求めるし、失敗すると他人を責めます。
他人のため、と聞くと綺麗に聞こえますがそれは自分で自分に責任を持っていないということでもあると気づきました。

仕事から話はそれましたが、
真面目で責任感が強く負けず嫌いで人の評価を気にするタイプの方、頑張ることでしか自分を褒めてあげられない方、ぜひ「自分の意思(会社のため、家族、人のためではないので主語は自分)」を大切にすること、自分の本当の声を聞いてあげること、「サボること」「休むこと」も仕事のうち、って少しでも思ってくれたら嬉しいです。

本当に興味のあることって何?って聞かれても意外とでてこないんですよね。怖いことに。今までこういうことをやってきたからこうするべき。とか、こういうスキルが活かせそう。ってのはでてくるんですけど。

自分のやりたいことってなんだったっけ?って一歩立ち止まって考えることができたのは、とてもいい機会だったなって今となっては思ってます。

これからは「私」を主語に生きてみよう。